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アイシテルワ!の和。

ブログ名を少々変更しまして、ブログ歴2年目スタートします。よろしく(人'∀'o)ネッ!

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小さな友だちとの物語②

ご訪問ありがとうございます。前記事からのつづきになります。

新年を迎え、泣き虫からようやく立ち直った頃、

お腹の‘小さな友だち,も安定期に入りました。

チャキチャキ先生の洋裁教室で、ホームシックの話しをすると

ちゃんが子どもみたいでどうすんのぉーー

すんなり笑い飛ばされてしましました。(さすが江戸っ子


それからは、泣く暇なんぞありません。

そろそろ出産準備や赤ちゃん用品も揃えていかなきゃならない時期です。

私の住んでた所は渋谷から地下鉄で10分程の下町でしたから、

商店街には赤ちゃん用品の店もないし・・・

かといって渋谷のデパートに置いてある物は、当時の私たちにとっては高級品です。

通販といっても○ルメゾンくらいだったかな。


チャキチャキ先生は、 「ぜーんぶ作れるから大丈夫!!」

まさに、私と‘小さな友だち,にとっての応援団長でした。

まず布オムツを80枚縫って(当時はまだ布が7割、紙が3割くらいだったかな?)

短肌着、長肌着、べビー服、帽子、ガーゼ、よだれかけ、ベスト、ママバック、おくるみ

そして、ベビー布団上下に肌かけ布団まで作ってしまったのでした。

(先生が地元のふとん店に頼んで綿を入れて下さった。)

さすがにオムツカバーだけは奮発して、二子玉川の高島屋へ
買いに行きました


肌着
  さらしで作った肌着!‘小さな友だちへ,のプレゼント


‘ちいさな友だち,は毎日々、お腹の中でミシンの音を聞きながら

どうにか順調に育ってくれました。居心地はどうだったのでしょうね!?

そして私は、出産予定日ちょうどの新緑の美しい季節

やっと やっと‘小さな友だち,の元気な産声を聞くことが出来たのでした。

(追記へ・・・↓)

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| 奮闘記 | 23:12 | comments:20 | trackbacks:0 | TOP↑

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小さな友だちとの物語~♪

「ミシンと私・・・そして。」の続きを書いてみようと思います。

↑消えた記事には、の東京での新婚生活。

九州から嫁いだお嫁ちゃんの暮らしぶり。

ミシンを買って、チャキチャキのおばちゃん先生との出会い。

そして、私のお腹に小さな友だちが宿ったこと。までを書いていました。

(コメント下さっていた方々へのお返事まで、
              消してしまい誠に申し訳ありませんでした。)



それでは、気を取り直して本題に入ります。

お腹に宿った命のことを、私はなぜ「小さな友だち」と呼ぶのでしょうか。

それを知った時、驚きや喜びもありましたが

「あー私はこれで一人ぼっちじゃないんだ!
 この子といつもいっしょに居れるんだ!」と思いました。

旦那さんは

はい。夫ももちろん会社が終わるとすっ飛んで帰って来て喜びました。

けれども、この時彼は社会人2年生。新宿の高層ビル群の中で、

日々の仕事をこなすのに精一杯の時期でしたから、

私が都会での暮らしに馴染めないことや、友だちのいない寂しさを

理解する余裕がなかったのだろうと思います。

(正直に言いますと、やさしいけれど頼りない男でした。今は違いますよ


まず‘小さな友だち,は、ほとんどの人が経験する つわり というカタチで

私を泣かせてくれました。「こんなにつらいんだったら、もういらない!」

そう思った自分にまたつらくなったり~不安になったり~

しばらくすると、小さな友だちは私のお腹のお部屋に慣れてくれたようでした。


そしてまた、チャキチャキ先生の洋裁教室に通い始めました。

チャキチャキ先生は「お産ならこの病院がおすすめ!」と

都立の産科・小児科専門の病院を教えてくれました。

今のように立会い出産も豪華な病室もない、オンボロ設備でしたが

産後のケアまでよくしてくれるし、安い!!ということで、

私は里帰り出産はせず、東京で‘小さな友だち,と頑張る決意をしたのです。

(それと、産まれた子どもはその父親に一番に見て欲しいと思ったから。)


そこで、マタニティーウェアを縫い始めました。

チャキチャキ先生が型紙を作ってくれて、生地は渋谷の安いお店で買って

毎日暇で時間はたっぷりなので、ミシンかけばかりしてたのです。

暇はあるけれど、お金はないのだから一生懸命でした。

(夫のお給料は生活費。ボーナスは夫のスーツや靴代、
帰省の為の飛行機代に消えた。
しかし東京という街は、すぐに靴がすり減るところでした。
 車もなかったし、よく歩いていたんだねぇー


その年の暮れからお正月は、私の母が、九州の美味しいものを

どっさり抱えて上京してきました。久しぶりの母の手料理。

3人での初詣。わずらわしい色々なお付き合いも考えなくてよいので

この時の楽しかったことは、今でも忘れられません。

なんと母が帰ってから、私は1週間も涙が止まらなくなってしまいました。

散歩や買い物に行ってもポロポロ年賀状をながめてはポロポロ

夫が仕事から帰ってもポロポロ・・・

気が強く、意地っ張りのはずの私がなぜ?

たぶん、ホームシック&マタニティー・ブルーだったのでしょうね。


こんなに長いお話を書くつもりはなかったのに、終わらないです。

もしよろしかったら、次回もお付き合いくださいませ。

ポチッと!


       

                 *ありがとうございました*

| 奮闘記 | 19:20 | comments:14 | trackbacks:0 | TOP↑

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長々~子育て!!  その2

   そんなこんなで、次女と10才離れて。。。
  
   我が家に長男がやってきた。

   やっと私の夢が叶った神様、仏様ありがとうございます。

  

   私は高齢出産ぎりぎりというところで、安産ではあったものの

   産後の身体はかなりきつかったぁーー

   その上、僕チンはそれから2年間、毎晩夜泣きしてくれた。(原因不明)


   
   さわやかな春風から一転嵐のような日々が・・・


  同居していた母が病に倒れ、長女はアトピーが悪化し登校拒否に・・・

    3人目は、母親も経験を積んだ分ゆとりをもって子育てできるだろう

    と思い描いていたが甘かった!

   
   それから、母の看病・思春期に入ってゆく娘たちとの格闘の中で

   僕チンはモミクチャにされながらも、愛嬌たっぷりのおしゃべりで

   マイペースな性格が形成されていった。


   友人や近所の方などからは、

   「大きなお姉ちゃんが二人もいたら、お世話してくれるから

    お母さん楽でしょう!?」

   って耳にタコができるほど聞かれたもんだ。


   「とんでもありませんよ思春期と乳幼児期がごっちゃになって

    頭がどうにかなりそうですよ!!」
 


   ともいえず、いつも苦笑い  



                                           つづく。。。


   

   

   

   

| 奮闘記 | 19:28 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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長々~子育て

  テレビで「○男○女大家族シリーズ」を見るのが大好き

  家族には不思議がられるけれど、あの喜怒哀楽あふれるシーンの連続を

  見てると、なぜか涙があふれてきたりする。

  それはきっと私が母子二人家庭で育った生い立ちのせいもあると思う。

  
  小さい頃から、子どもは3人以上産むのが夢だった。
  
  
  20代前半で結婚、ポンポンと二つ違いで長女と次女が生まれた。

  慣れない都会での子育ては、楽しいというよりつらい事の方が

  多かったな

  最近のように、育児支援なんて言葉もなく・・・子育てサークルがちらほらって時代。


  夫が育児に協力的だった事だけが救いだった。

  それでも「あー私だけ社会から取り残されるーー」感が

  いつもあって、もがきながら子育てしてた。

  子どもだちにとっちゃ、イイ迷惑だったろうに。。。

  その上、とうとう育児ノイローゼみたいにもなっちゃった

  立ち直るのに5年以上かかったわ!!

  
  そのくせに、長女と次女が小学校高学年に入る頃

  懲りもせず3人目が欲しくなって

  「苦しい時の神頼み」じゃないけど、あちこちの神社に御参りまでした。




                           つづく



  

| 奮闘記 | 00:34 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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